人生の伴侶に求めるもの

いのちの森の台所

いのちの森の台所

佐藤初女さんの「森のイスキア」の活動は、「奉仕のない人生は意味がない。奉仕には犠牲が伴う。犠牲の伴わない奉仕は真の奉仕ではない」という神父の説教がきっかけだった。愛他的な人とは、もしかして遺伝子がそうなっているのではないかと、私は勝手に感心してしまう。信仰とは、思考停止でもあるかもしれないが、行動に移すための、堂々巡りの悩みからの解放、行動しながら考えることなのかも?
佐藤初女さんは、「人生の伴侶を決めるとき、どのようなことを大切にするとよいですか?」の問いに
「まず素直な人、それから元気な人、感謝のこころがある人がいいんでないでしょうか。これは、、松下幸之助さんも経営者の条件としてあげられています。素直と元気と感謝」

素直も大事だけれど、
「ぼくは偶発というやつが大きらいだ。ぼくの人生のあらゆるものが十分な理由があって存在してほしいのだ」ジェイクは物語の発端、このようにいわば現実の偶発性を容認できない男、現実の不還元性を認知できない男として登場する。現実に自らの体験の網をかぶせ、一定の形にはめこまないではいられない男として描かれる。それはジェイクの現実認識に関する限界と無知を意味し、その限りではいくら秩序立て体系化を図っても、状況は一向に好転しない、そればかりか、ますます現実との関係はぎすぎすして、しばしばひどいしっぺ返しをうけることにもなる」   「マードック」 蛭川久康 著 冬樹社 より引用

「網の中」の登場人物ジェイクとは反対の、科学的思考ができる人もいいんでないか。