天才の工夫

姉への手紙 モーツァルト 「高校生のための文章読本 表現への扉」P21 より引用

友人モーツァルト君に、手紙を書いてみよう。
(略)
さて愉快なお手紙ありがたう存じます。ヴォルフガングが読んだら、さぞやあの甲高い声を立てて笑い転げたことでござりませう。ヴォルフガングは普段から何か少しでも面白い思ひ付きがありますと、もう何もかも忘れて無我夢中になる子でありまして、貴殿の手紙を目にしましたら、たちまちその何十倍もの精力をかけて御返事を書くことでござりませう。何事につけ工夫に工夫を重ね、洒落に洒落を重ね、いたづらにいたづらを重ねて楽しまずにをられないのが彼の性分でありまして、愚僧の考へまするに、彼あの素晴らしい作曲の数々も、元をただせばこの留まることを知らぬ遊び心より出たものではないかと思はれます。人は作曲家と申しますと、むつかしい顔をしてピアノに向っているやうな人物を思ひ浮かべるかもしれませぬが、ヴォルフガングはさやうなことはござりませなんだ。どんな音楽を書く時でも―たとへ深刻で悲しく聞こえる音楽でさへ―鼻歌混じりに、机をトントンと叩きながら、いかにも楽しさうに書いてをりました。「油のようになめらかな曲を作りたい」とよく彼は申してをります。また「どんな素人でも、どんな専門家でも楽しませられる曲を書きたい」とも申してをりました。その秘訣はと申しますれば、実は彼自身が作曲を楽しむことにあるのではなからうか、とかやうに推察する次第であります。
 ビリヤアド台の上に五線譜を置き玉を突きながら書いていたこともござりますし、鏡を置いて逆様に楽譜を書いたこともござりまし、馬にまたがりながら書いたこともござります(これは嘘でござります)。とにかく遊ぶということ、楽しむといふことを、不真面目と人は考へがちなものでござりますが、大間違ひでござります。楽しいことは人に愛されます。遊びこそはあらゆる芸術の基盤なのであります。(略)
遊びをせむとや生まれけん。凝ることは誠実である。仰げば尊しいざさらば。

高校生のための文章読本

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