ネットの中でごめんとさけぶ

震災の日、朝ひどく憂鬱だった。今朝も何故か憂鬱。(私は勘が鋭くない。思い込みの世界に生きているので)しかし憂鬱もいいもので、自分の至らなさが反省できたりして。憂鬱で不安な気分のまま外出した。

そして、今日、震災被害者当人に会った。岩手で被災し、親を残して、一人東京へ来た方。明るい笑顔に、まさか、被災者とは思わなかったが、本人の気持ちを聞くと、やはり、辛いそうだ。

七夕の短冊に「自分の好きな人達が幸せでいて欲しい」などと、根性の悪さ丸出しではないか。性格の悪さついでに、また母に電話で怒ってしまった。

自己満足を押し付けてきて、「昔から、自己満足の押し付けばかり。子どもが何を求めているか、考えているのか?」と不満になったからだ。しかし、母が私と同じ年には、育児、家事をこなしながら、沢山金も稼いでいた。私など、真似できない立派な人でもあるのは確か。

多くの人が善意を行動に表すのは、自己満足という動機が強いから、本当に相手が求めているものが見えないのでは?善意=自己満足と割り切れば腹も立たないか。

しかし、私のメンターは違う。自己満足なお節介は決してせず、私が電話すると、余裕のあるキャパシティで、TVを見ていても消して話を聴いて下さるのでした。