座禅は心の主食②

再放送を見ました。

ネルケ無方さんの、彼が7歳の時なくなった母親の父(つまり祖父)はプロテスタントの祖父。

ネルケ無方さんの「自分の我を投げ出せ」とは、プロテスタントの友人に薦められた本、

人生を導く5つの目的―自分らしく生きるための40章

人生を導く5つの目的―自分らしく生きるための40章

にも、書かれてある。ネルケ無方さんは、「いるかいないかわからない神より、人生の苦を解決したかった」というが、私は彼の母方の遺伝子を感じてしまった。

「良心がない人は悪がわからない。迷いがないと、悟りもない。悟りには、迷いが必要。『悟った』と思う状態ほど悟りから遠いものはない」

確かに、悪いことをしている時は、自分の悪を自覚していない。ばかりか、自分は正しいとさえ考えている。

「睡眠時間4時間、トイレも、先輩が駄目だと言えば行けない」修行で、「生かされていると感謝できた」が、私はここでアウシュビッツを考えてしまった。

それでも人生にイエスと言う

それでも人生にイエスと言う

で、精神科医フランクルは、家族を強制収容所で殺されていても、「信じるものがあるから、耐えられた」。しかし、多くの人にとって「解放の日」、強制収容所から生き残った人々の多くがその後、虚無的な生き方を送ったのは?ホロコーストは勿論、修行ではない。この映画の中で、最も、怖いと感じた言葉。「強制収容所は学校じゃないのよ。あそこは何も生まない所よ」
それでも人生にイエスという を読み返したら、ニヒリズムの傲慢さが書かれてあった。それは、曾野綾子氏がエッセイで書いていた、自殺する人の傲慢さと同じものか?同じ時、死にたくないのに、死にそうな人がいる世界で、自分が死を選ぶ判断は正しいのだという思い上がりだ)
朗読者 (新潮文庫)

朗読者 (新潮文庫)

原作には、この上記の言葉はなかった。