宗教で役に立ったサイト

なぜ私は親鸞会をやめたのか|ホーム

このサイト、自分の宗教経験を正直に書かれていて、参考になりました。宗教団体の同調圧力の中で、おかしいという疑問持っている人達にも、勇気を与えたことでしょう。

ある教義を信じる、自分を信じている!その体験は、なかなか安定感が得られない人生で、自己肯定感を持てる幸せに繋がります。しかし、

解毒剤 ポジティブ思考を妄信するあなたの「脳」へ

解毒剤 ポジティブ思考を妄信するあなたの「脳」へ


上記より引用P187から

ヘレン・ケラーの有名な言葉を借りると、「安全はほとんどが迷信である」ということになる。この考え方にはいろいろな解釈ができるが、アラン・ワッツの著作『Wisdom of Insecurity(不安の知恵』を参考に考えてみよう。(略)科学的な探求が計り知れないほど多くの恩恵をもたらしたことは言うまでもないし、ワッツも大いに賛同するところである。だが同時に、人々の心に大きな精神的空白を残したのも事実だ。神も来世もない宇宙の科学的な光景は、一人ひとりの人生から特別な精神的意義を跡形なく吸い取っていくのである。われわれはただ単なる有機体として存在し、理由もなく短い人生をまっとうし、消滅していくという訳だ。ワッツに言わせれば、これこそが誰もが心の底に持っている究極の不安の源泉なのである。とはいえ、ほとんどの人は、かつて経験した独善的な宗教に再び心地よい庇護を求めて戻っていくこともできないでいる。もはや真実でないと分かっている宗教的な考えに自らを納得させることなどできないからだ。
こうして、科学的には真実ではあっても生きがいのない人生を選ぶか、それとも迷信と自己欺瞞に基づいた宗教的人生を選ぶかが問題になっているが、ワッツは第三の道があるという。彼の小論文の後半にその説明が書かれている。
(略)

後は、自分で読んで下さい。

親鸞会といえば、求道していけば死の不安が解消できる、と勧誘していましたね。「解毒剤」のなかには、『8章 「死の運命」との付き合い方』 なるページもあり、参考になるのでは。